米国の化粧品・ファッション大手のエスティローダー・カンパニーズと組んで、華々しく復帰した米国人デザイナー、トム・フォード氏があらためて注目を浴びています。「グッチ(Gucci)」再建の功績で知られるフォード氏とはどんな人物か、振り返っておきたいと思います。
フォード氏は1962年米国テキサス州生まれ。ニューメキシコ州サンタフェで幼少時を過ごしました。ニューヨーク大学で美術史を学んだ後、ファッションの名門校、パーソンズ・スクール・オブ・デザイン(Parsons School of Design)でインテリア建築を学びました。パーソンズはダナ・キャラン氏、マーク・ジェイコブス氏、アナ・スイ氏、アンドリュー・ゲン氏らも卒業したエリート校ですが、フォード氏はファッションを専攻したわけではないようです。
86年、米国のデザイナー、キャシー・ハードウィック(Cathy Hardwick)の下でファッション界に足を踏み入れます。次に同じく米国人デザイナー、ペリー・エリス(Perry Ellis)の下で働きました。「グッチ」のレディースウエアのデザインスタッフとして参加したのは90年のことです。
「グッチ」が94年、投資会社に買収された際、フォード氏は「グッチ」のクリエイティブディレクターに就任しました。「グッチ」が「イヴ・サンローラン」を買収した後、2001年春夏以降は「イヴ・サン・ローラン・リヴ・ゴーシュ」のクリエイティブディレクターも兼ねることになりました。
フォード氏のスタイルが斬新だったのは、服だけではなく、広告や店舗設計、ウインドーディスプレーなどすべてのイメージをコントロールする「クリエーティブディレクター」という手法を持ち込んだ点です。「グッチ」での成功を見て、その後、様々なブランドがこの手法を採り入れました。
フォード氏はデザイナーとしては、それまでの「グッチ」のイメージをくつがえす、官能的な服をコレクションで発表し続けました。ブランド価値の最大化という、米国で培ったビジネスモデルを持ち込み、自分は黒子に徹したスタイルも画期的でした。
「グッチ」ではドメニコ・デ・ソーレ最高経営責任者(CEO)と絶妙のコンビネーションを発揮し、「トム・ドム」ペアと呼ばれました。今回のエスティローダーとの提携ビジネスにはフォード氏側にソーレ氏も参加しています。
その2人が「グッチ」を離れた理由としては、百貨店「プランタン」で知られる親会社の流通企業大手、ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR、フランス)との経営方針の食い違いが大きかったようです。PPRは99年、「グッチ」の経営権を手に入れました。当時、フランスのブランド企業グループ、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンが「グッチ」に買収を仕掛けていました。「グッチ」を率いていたソーレ氏は、LVMHのライバルであるPPRに出資を仰ぎ、PPR傘下に入りました。
ブランド運営に慣れていないPPRは当初、「グッチ」の経営にはほとんど介入しないで、2人に任せていました。しかし、「独裁者」的性格の強いソーレ氏は2004年4月の契約切れを前に、「グッチ」の自主性確保をPPR側に求めました。具体的にはフォード氏を社長に、「グッチ」を株式会社として独立させる計画でした。しかし、PPR側はこのプランを認めず、2人は「グッチ」を離れました。フォード氏は2004―2005年秋冬コレクションを最後にファッション界から去りました。
ソーレ氏は弁護士出身。「グッチ」の米国法人で社長を務めた後、94年、CEOに迎えられました。米国仕込みのダイナミックで合理的な経営手法を身に着けています。「グッチ」ではファッションの「バレンシアガ」「イヴ・サンローラン」、靴の「セルジオ・ロッシ」、宝飾品の「ブシュロン」などのブランドを相次いで買収。「ステラ・マッカートニー」ブランドも育て上げました。
PPRは「トム・ドム」のクリエーターマインドを抑え込もうとして、2人と対立する結果となりました。エスティーローダーは経営が厳しくなる中、ブランド再建を期待して2人を迎え入れました。短期利益を期待される米国企業において、2人が再び同じ対立関係に巻き込まれないかどうか、エスティーローダー側の懐の深さが試されます。
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