パリで4回目の作品を発表した星野貞治(ほしの・さだはる)氏は全体にイノセント(無垢)なテイストでありながら、マニッシュな要素を採り入れた、成熟したラインを打ち出しました。「リアルクローズ」に流れるバイヤーが反応しそうな作品が目立ち、マーケットのニーズに応えられるデザイナーとしての成長をうかがわせます。
今回の作品では、ドレープやしわの演出が光りました。特に自分で布のたるみ具合を調節できるコード(ひも)を採り入れたところに目新しさを感じました。
ドレープとひも締めのアイデアが最もよく現れていたのが、天女の羽衣を思わせる、ふんわりした薄手のワンピース。肩口はボートネック風に肩口いっぱいまで開いています。全体にたっぷりのドレープがあり、ほかの作品同様、ひもでウエストを絞れるようになっています。袖は七分。裾はアシンメトリー(左右非対称)です。
ところどころに細かいしわを寄せ、天使の翼を思わせるジャケットはファンタジックなたたずまい。前立てに配した細かいフリルもリリカルです。
レザージャケットは端をきれいにカットしないでわざと無造作に破ったかのような裁ち切り。重ね着した下のスカートも裾がアシンメトリーになっています。今回は全体にアシンメトリーの提案が目に付きました。
ピンクパープルのベルベットのドレスは二の腕の辺りで覆うケープのような1段目と、さらにひじ先辺りまでを包む2段目が重層的に見える仕掛け。裾の処理もおもしろい。左右がアシンメトリーで、片方の端は布地を束ねて垂らすような格好。黒いひもで布地を絞れるようになっていて、ドレープに自由な表情を生み出すことができます。
乗馬服風のクリーム色ジャケットとスリムパンツのセットは中世の貴婦人テイスト。ジャケットの前立てにはボタンが縦1列に15個も。エポレット(肩当て)はバストを全部隠してしまうほど大きく、視覚的なアクセントになっています。袖にはわずかにパフが施されていて、全体にはマニッシュでありながら、コケットな趣も感じさせます。パンツは膝辺りを少したるませてしわで変化を出していました。裾は黒いショートブーツにインしています。
星野氏は1978年、福島県三春町に生まれました。高校生のころ、自分の細い身体に合う服が地元ではなかなか見つからなかったので、自分で作ろうと考えたのが、ファッションの世界を意識した最初だそうです。
2000年に文化服装学院を卒業。同年の第26回神戸ファッションコンテストで特選を受賞し、英国のノッティンガム・トレント芸術大学(the Nottingham Trent School of Art and Design)に進んでいます。
2001年、英国の主要服飾スクールが参加する、合同の卒業ショー「グラデュエート・ファッション・ウイーク」で、星野氏の卒業制作が、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)氏の選ぶ「アメリカン・エキスプレス・イノベーション賞(the American Express Award for Innovation)」を受賞。「ビジョンを持った作り手だ」と激賞したマックイーン氏は星野氏をアシスタントに迎えました。
2001年にはイエール国際モードフェスティバルに史上最年少で入賞。2002年にパリの大学院大学、フランス・モード学院(IFM)に授業料免除で進みました。星野氏は日本人最初のFIMクリエーション科卒業生と言われています。
渡欧後はパリを拠点に活動しています。2004年春夏からパリコレクションで作品を発表しています。過去にはパリコレ期間中に非公式なゲリラコレクションを敢行したこともあります。 そのときに打ち出したのが、縫い取りのステッチを残すような形で身頃をくりぬいた作品。過去にも星野氏はステッチを残したままにしたり、裁断がまだ終わっていないような作品を発表しており、「作品=完成形」を否定するコンセプトを提案しています。
今回は公式スケジュールでのショーとなり、山本耀司氏らと共にパリコレの初日を飾りました。20歳の若さで装苑賞候補になったとき、「君は才能がある」と励ましてくれたのが、憧れのデザイナーだった山本氏でした。
2005年春夏ではツイスト(ねじり)をテーマに据え、ねじったり、たくし上げたりと、布地を変形させる取り組みを見せました。沖縄県・八重山のミンサー織を使った作品も発表しています。2004―2005年秋冬ではジャージー素材を使った、左右のボリュームが異なるキュロットを発表しました。
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