[解説]
シーズンの度に、まったく新しいデザインを生み出す、ひたむきな創造姿勢で、世界中のデザイナーから尊敬を集める孤高のデザイナー、川久保玲(かわくぼ・れい)氏が率いるブランドです。ブランド名の「コム・デ・ギャルソン」とは、フランス語で「少年のように」という意味です。
「エルメス(Hermes)」の主任デザイナーとなったジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)氏や「ジバンシィ(Givenchy)」を任された鬼才、アレクサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)氏らも「尊敬するデザイナー」として川久保の名前を挙げています。ココ・シャネル(Coco Chanel)と並べて、「史上最も重要な女性デザイナー」と海外メディアで評価されたこともあります。
他人と同じことはしない。同じ布地は二度と使わない。前シーズンのスタイルを踏襲しない。この単純なルールをかたくななまでに貫く川久保氏はあまりにもいさぎよい。惰性を拒否し、挑戦リスクを取り続ける。海外で評価が高い理由です。
市場の顔色はうかがわない。ライセンス契約も認めない。販売員はすべて正社員。あくまで日本生産にこだわる。着る人と真正面から向き合おうとする志がすがすがしい。
1982―83年秋冬パリコレクションで発表した、服のあちこちに穴を開けた「ボロルック」でファッション界に衝撃を与えました。黒を主体にした作品群は「ワイズ(Y's)」の山本耀司氏とともに社会現象となり、メディアは2人の黒い服で身を固めた人たちを「カラス族」と呼びました。しかし、それが一過性のブームではなかったことは、ブランド立ち上げから35年という年月が証明しています。
黒にこだわり、ボディラインを強調しないデザインは、男性の目を意識したそれまでの「女らしさ」を否定しつつ、「川久保の美」の世界を作り上げました。服を解体・再構築する川久保氏の手口からは、すべての服の約束事をぶちこわしにする企みが透けて見えます。「コム・デ・ギャルソン」のレディースウエアはメンズと同じ左前の打ち合わせです。
2005年春夏パリ・コレクションでも川久保氏の仕掛けは健在でした。革のバイカージャケットにバレリーナの衣装(チュチュ)を組み合わせたり、前身頃と後身頃を逆にしたり。2004―2005年秋冬では肩を二重に付けた服や、上半身を隠してしまうほど大きいコサージュなど、計算し尽くした企ての連続でした。2004年春夏ではスカートしか発表しないという戦略的な構成でファッションジャーナリズムをうならせました。
しわを寄せ、ねじり、結び、巻き付け、しばる。川久保氏は布の表情を匠(たくみ)の手仕事で引き出して見せます。不自然なこぶのような膨らみをくっつけたワンピースやスカートも近年のヒット作です。
2002年春夏で発表した、「0」から「9」までの数字を大きくプリントしたシリーズはスマッシュヒットとなりました。初のキャラクターブランドとして、2003年から「プレイ(PLAY)・コム・デ・ギャルソン」を発売。ちょっと「キモかわいい」、2個の目玉が付いたハートがシンボルマークです。
川久保氏に次ぐ主力デザイナーの渡辺淳弥氏が手がけるブランドが「ジュンヤ・ワタナベ・コム・デ・ギャルソン(JUNYA WATANABE COMME des GARCONS)」です。渡辺は文化服装学院を卒業後、コム・デ・ギャルソンに入社。87年、それまで川久保が手がけていたブランド「トリコ・コム・デ・ギャルソン(tricot COMME des GARCONS)」を引き継ぎました。
91年には「自分のブランドを立ち上げたい」と申し出て、「ジュンヤ〜」を旗揚げしました。今では川久保氏とは別に渡辺氏もパリコレで高い評価を得ていて、立派な二枚看板に成長しました。
●ブランドデータ
[本国] 日本(東京都)
[経営・日本での展開]
ブランド名と同じ名前の企業「コム・デ・ギャルソン」が展開。デザイナーの川久保玲氏が社長も務める。
メンズを含めて数多くのブランドを抱えるコム・デ・ギャルソンは従業員約500人、年間売上高約140億円(2004年2月期)の企業に成長。経営面でもファッション界のカリスマ的存在であり続けている。
デザインだけでなく、店舗展開手法も独創的だ。2003年に開いた直営店「コム・デ・ギャルソン大阪店」(大阪・心斎橋)は一見、ただのオフィスビル。1、2階のガラス窓からは店の内側を覆う赤い壁しか見えない。「分かってくれる人にだけ来てもらえれば構わない」とでも言いたげな、客を選ぶ店構えだ。
イタリアの有名セレクトショップ「10(ディエチ)コルソコモ」と組んで、2002年春、東京・青山にセレクトショップ「10コルソコモ・コム・デ・ギャルソン」をオープンした。デザイナーが社長を務めるアパレルブランドとしては珍しく、自社のブランド以外も取り扱う。
ロンドン中心部のドーバーストリートには2004年、地下1階、地上4階の大型店「ドーバーストリート・マーケット」を開いた。ここでも他社ブランドを置いている。世界各地で展開している、1年間限定の店舗が「ゲリラストア」だ。現地のオーナーに店舗運営を任せるという思い切った試みだ。
[歴史]
川久保玲(かわくぼ・れい)氏は1942年東京都生まれ。幼稚舎からの慶応育ち。慶応大学文学部哲学科(美学)卒業後、64年、旭化成工業(当時)に入社。67年からフリーのスタイリスト。69年から「コム・デ・ギャルソン(COMME des GARCONS)」ブランドを立ち上げ、73年にコム・デ・ギャルソン社を設立した。服飾デザイナーとしては珍しく、デザインや洋裁の専門学校を卒業していない。
81年にパリコレクションに初参加。82―83年秋冬で服のあちらこちらに穴を開けた「ボロルック」を発表した。西欧では喪服や僧服の色とされてきた黒をメーンに使った作品群は「黒の衝撃」と呼ばれた。82年、黒一色の服をまとった「カラス族」が社会現象になった。翌83年、第1回毎日ファッション大賞を受賞。88年にも2度目の受賞を果たした。渡辺淳弥も同賞を99年に受賞している。
49歳になった92年、10歳年下の英国人、エイドリアン・ジョフィー氏とパリで結婚した。ジョフィー氏はフランス現地法人の社長を務めている。
[現在のデザイナー] 川久保玲氏
[キーワード] 黒、「ボロルック」
[魅力、特徴] 日本のカリスマブランドと言えば、筆頭に名前が挙がるブランド。本当に毎シーズン、新しい驚きがあることが驚きです。見栄えがするだけでなく、着る人の気持ちをキリッとさせる不思議な効果があります。不思議なことに、「コム・デ・ギャルソン」を着ているだけで、業界人っぽく見えます。「ギャルソン」で上から下まで揃えるなら、合わせる靴はローヒール。いつもハイヒールばかり履いていて、少し違うスタイルをしたいとき、「ギャルソン」をお薦めします。
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