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  [ブランド名]
シャネル(CHANEL)

[解説]
 「キング・オブ・ファッション」とも呼ばれるスーパーデザイナー、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)氏が手がける、フランスを代表するトップブランドです。2004年12月には東京・銀座に世界最大級のブティックを含む10階建ての「シャネル銀座ビルディング」がオープンしました。

 2005年春夏パリ・コレクションでは、映画賞授賞式でおなじみの「レッドカーペット」をテーマに、モデルを女優のように登場させる趣向で作品を披露。香水「N゜.5」のイメージキャラクターに起用されたハリウッド女優のニコール・キッドマンもキャットウォークに上がりました。往年の大女優、マリリン・モンローが「寝るときに身にまとうのはN゜.5だけ」と語った逸話は有名です。

 創業者のココ(Coco)・シャネルは画期的なデザインを立て続けに発表して、それまでのレディースファッションを古臭いものに変えてしまい、「皆殺しの天使」と呼ばれました。その革新の志は、1983年からデザインを担当するラガーフェルド氏にも見て取れます。ラガーフェルド氏は93年春夏パリコレで女性モデルにブリーフを着せて世間を驚かせました。

 ココが生涯認めなかったミニスカート。でも、ラガーフェルド氏はヒップラインすれすれのマイクロスカートを2年連続で提案しました。彼の手によって、レザーのバイカーズジャケットも「シャネル」の伝統に加わりました。彼自身は自分の役目を「創業者のエスプリを、現代女性に合わせてしなやかに進化させること」と語っています。

 ツイードは「シャネル」ブランドを象徴する素材です。愛人だったウエストミンスター公爵らのツイードをココが気に入り、女性用のコートやスーツに採り入れたとされています。銀座のビルも夜になるとツイード模様が外壁に浮かび上がる仕掛けになっています。

 ラガーフェルド氏も様々なバリエーションのツイード作品を発表していて、2004―2005年秋冬パリコレでは、ツイードのジャケットにローライズパンツを合わせた少年風の作品を発表しました。

 1990年代の「スーパーモデルブーム」のきっかけを作ったのはラガーフェルド氏だといわれています。日本人スーパーモデルの川原亜矢子に「シャネル」のオーディションを受けなさいと勧めたのも彼でした。

 ラガーフェルド氏は「シャネル」のほか、イタリアの「フェンディ(FENDI)」、自分の名を冠した「ラガーフェルド・ギャラリー(Lagerfeld gallery)」の2ブランドを手がけています。「帝王」と呼ばれるのは、その活動の幅広さゆえです。

 「フェンディ」は彼をまだ駆け出し時代の65年からデザイナーに起用しています。「F」の字を組み合わせたロゴ「ダブルF」もラガーフェルド氏が考案したものです。フランスの老舗ブランド「クロエ(Chloe)」の主任デザイナーも長く務めていました。

 ラガーフェルド氏は2004年、欧米で低価格衣料店チェーンを展開するスウェーデンのヘネス・アンド・モーリッツ(H&M)と組み、専用商品「カール・ラガーフェルド・フォー・H&M」を期間限定で売り出しました。Tシャツやジーンズなどを、ラガーフェルドデザインとしは格安で発売したのです。「H&M」の店先は、商品を買い求めようと先を争う客でごった返しました。

 2005年で67歳になるラガーフェルド。しかし、創作意欲は衰える気配を見せません。まだしばらくは「帝王」の座を譲ることはなさそうです。

●ブランドデータ


[本国]
フランス(パリ)


[経営・日本での展開]
 フランスのシャネル社の日本法人である「シャネル」が展開している。日本法人の設立は1980年。

 商品はすべてフランスで生産。ライセンス生産は一切認めていない。

[歴史]
 創業デザイナーであるガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel、1883〜1971年)はフランスのオーベルニュ地方のソミュール市で生まれた。まだ12歳の年に母を亡くし、困った父は2人の娘を孤児院に預けた。ここで5年間過ごしたが、父は二度と再び彼女の前に姿を見せなかった。

 愛称「ココ」が有名だ。コーラスガールを夢見て歌手修行をしていたころの愛称が「ココ」。彼女が好んで歌った曲に出てくる犬の名前が「ココ」だった。

 27歳だった1910年、パリで帽子店を開く。帽子素材で作ったドレスをきっかけにファッション界へ。第1次世界大戦後、動きやすい服を求める新しい女性像にマッチした機能的なファッションを打ち出し、女性の支持を得た。

 60年代、カーディガン風の襟なしジャケットにひざ丈スカートのいわゆる「シャネル・スーツ」を発表し、大流行となった。当時の女性は体を締めつけるコルセットを身に着けるのが一般的だったが、シャネル氏は「コルセットからの解放」を提案し、服飾史上の革命を果たしたとされる。

 がむしゃらに働いた彼女は日曜日が嫌いだったという。理由は「誰も働かないから」。34年から亡くなるまで、一時期を除いて、本店と通り1本しか離れていない超高級ホテル「リッツ」のスイートルームにたった一人で住んでいた。孤独が嫌いだったからだともいわれる。同ホテルは故ダイアナ元英皇太子妃が最後の時を過ごしたホテルとしても有名だ。

 71年に87歳で世を去った後、78年にフィリップ・ギブルジェ氏がデザイナーに就任。83年からはカール・ラガーフェルド氏がデザイナー。

 ラガーフェルド氏は38年、ドイツのハンブルクで生まれた。父親は実業家で母親はバイオリニスト。16歳で国際アマチュアファッションコンテストで優勝。第2次世界大戦後の52年にパリに渡り、「ピエール・バルマン(Pierre Balmain)」「ジャン・パトゥ(Jean Patou)」で経験を積んだ。

 65年からの「クロエ」「フェンディ」に続き、83年から「シャネル」の主任デザイナー。優れた写真家でもあり、「シャネル」のイメージ写真も撮影している。

 84年に「カール・ラガーフェルド」ブランドをスタート。40代半ばになってから初めて、自分の名を冠したブランドを立ち上げた。支援したのは伊勢丹。「カール・ラガーフェルド」ブランドを世界で初めて伊勢丹オリジナルとして導入した。後の小柴和正・伊勢丹社長が提携を実現させた。


 銀髪のオールバックに黒のサングラス。常に扇子を持ち歩く。自らのブランドのモチーフも扇だ。

 メンズブランド「ディオール・オム」の細身のスーツを着たいがために100キロを超えていた体重を40キロも減らす大胆なダイエットを敢行した。そのダイエット法は「42kg減! 華麗なるダイエット」(集英社be文庫)という本になった。

[現在のデザイナー]
カール・ラガーフェルド氏


[キーワード]
ココ・シャネル、カール・ラガーフェルド、ツイード、黒と白の色遣い、カメリア(椿)のモチーフ


[魅力、特徴]
 女性なら一度は着てみたい憧れのブランド。「かわいくてゴージャス」。ツイードの「シャネル・スーツ」はまさに一生ものです。

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